絵師人生70年で3万点も描いた葛飾北斎!モネやゴッホも唸らせたアートの魅力


はじめに

美術館巡りが好きな私がおすすめしたいアートは、葛飾北斎の日本画です。北斎の絵に初めて出会ったのは、子供の頃に家族で行った美術館で、強烈なインパクトを受けたのを覚えています。幼い私は、北斎が偉大な画家であることも知らなかったのに、彼のアートは強く惹きつけるものがありました。

後に北斎について知り、彼以外の数々のアートも楽しみましたが、北斎の絵が今でも格別に好きなことには変わりありません。北斎は、江戸時代に浮世絵師として一世を風靡し、現代でも世界が絶賛するように、私も彼のアートに魅了された一人なのでしょう。

北斎の作品は、「富嶽三十六景」のイメージが強すぎて、他にも数々の傑作があることはあまり知られていません。彼は3万点を超える作品を残し、絵師としてのペンネームである「画号」を30回以上も変え、数え年でなんと90歳まで生きた人物です。

そんな浮世絵の巨匠である北斎のアートについて、代表作は勿論、彼の生涯からひも解いてご紹介します。


絵一筋、北斎の生涯


北斎が絵師を志すまで

江戸時代の1760年、北斎は現在の東京都墨田区に生まれました。当時、芸術の分野では浮世絵が発達し、北斎が6歳の頃には木版画の多色摺りである「錦絵」が登場。北斎は、幼少から絵に興味を持ち、目にしたものを次々に写生していたといわれています。

北斎は「御用鏡師」である叔父の養子として育てられた後、貸本屋で働いたり、浮世絵の「版木彫り」の仕事もしたりしましたが、「絵師になりたい」という大きな夢がありました。

ついに絵師の道に入る

北斎は19歳の時、当時人気の浮世絵師であった「勝川春章」に弟子入りします。独学で絵を極めていた北斎は、師匠からすぐに一人前として認められました。翌年の20歳の時には「勝川春朗」の画号で、「細判役者絵」の浮世絵をデビュー作として発表しました。

そして、修行を重ねながら役者絵や本の挿絵などを多く世に出し、知名度を上げました。彼の絵に対する興味は底知れず、勝川派以外の流派や外国の絵の技術まで熱心に学びました。北斎は、様々な絵を探求してもっと成長したいという思いがあったのです。

やがて師匠が亡くなり、北斎は兄弟子との対立などから34歳の頃に勝川派を去り、「宗理派」に入門します。宗理派は、安土桃山時代に俵屋宗達らが開いた流派で、北斎はすぐに宗理派の長を襲名します。勝川派とは異なる「肉筆画」や「狂歌絵本」の挿絵など新たな分野を極めていきます。

絵師として独立し己の道を究める

39歳になった北斎は家督を譲り、「北斎辰政」の画号で独立。その後は錦絵を再開するなど、どの流派にも属さず、独自に絵を極めていきました。北斎は、本の挿絵が仕事の中心になり、曲亭(滝沢)馬琴の書いた本の挿絵を手掛けることもありました。また、肉筆画の制作にも注力しました。

護国寺(東京都文京区)の境内で、畳120畳もある巨大な達磨絵を描いた逸話もあります。この頃、北斎は画号を「葛飾北斎」と改めました。

現代にも残る傑作を生んだ晩年期

北斎が50代の頃には、弟子を希望する者が多くいました。そこで、弟子に絵を学ばせるための「絵手本」を、大量印刷が可能な版画で作ることにしました。絵手本は弟子のみならず、愛好家達の間にも広まりました。その絵手本こそが有名な「北斎漫画」なのです。

北斎は68歳の頃に脳卒中に見舞われますが、漢方薬に精通していたため、なんと自らの手で調合した漢方薬で回復したのです。そして71歳の頃から、今や誰もが知る「富岳三十六景」を手掛けます。これが、浮世絵の世界に登場した「風景画」の原点となりました。

描き続けた巨匠の最期

北斎は年齢を重ねても、絵に対する意欲も表現力も衰えませんでした。80歳の頃には、肉筆画に注力し、宗教画や自然を描くようになりました。作風も変化し、様々な技法を混用した傑作が多くあります。1849年、北斎は90歳でこの世を去るまで絵を追求し続けました。


なんでも描く北斎のアート

A 誰もが知る風景版画の錦絵「富嶽三十六景」

タイトルこそ36景ですが、好評につき10図が追加(通称「裏富士」)され、46図で完結。構図が斬新で、西洋から輸入した青い絵の具(ベルリン藍)を上手く用いた美しい色彩が特徴です。

a 一番有名な「神奈川沖浪裏」


巨大な波が船に襲いかかるように砕け落ちる瞬間と、奥で美しく佇む冨士の「動と静」を対比して描いています。北斎は波を描くことに強くこだわり、当時の絵師が誰も描いたことのないレベルに達しました。

ダイナミックで臨場感があり、まるで波が動いているような迫力。波の音が聞こえてくるような気がしませんか。私はこの絵に引き込まれて、いつまでも眺めていたくなります。

b 通称「赤富士」として知られる人気の「凱風快晴」


冨士山が朝焼けに赤く染まる神秘的な瞬間を絵にしたものです。赤い山肌の背景には、青い空に雲が広がり、緑色の裾野は樹海。三色だけでとてもシンプルですが、コントラストとグラデーションがとても美しく、私も思わず息をのむほどです。

c 風が吹く瞬間がとてもリアルな「駿州江尻」


東海道の第18宿で栄えた江尻で、強風が吹く瞬間を描いた傑作。木が揺れ、紙が風に舞い、旅人が困惑する表情など、どれも緻密に描かれています。風の形は描かれていませんが、確かに風が吹いていることが伝わってくる絵です。

B 北斎による森羅万象の絵の描き方図解「北斎漫画」

「北斎漫画」の漫画は、現在のマンガという意味ではなく、「北斎がありとあらゆるものを気の向くままに漫然と描いてまとめた画集」という意味です。人物、動物、植物、建物、神仏、風俗、日用品などなんでも描き、図版の数は3900を超えるといわれています。

a アニメの原点!?「雀踊り」


当時流行した踊りである「雀踊り」を描いたものですが、詳細に描かれているので振り付けの図解のようです。図を連続して見るとパラパラ漫画のように動いてみえるため、アニメの原点ともいわれています。

b 北斎はデザイナー!?「今様櫛きん雛形」と「新型小紋帳」


「今様櫛きん雛形」には、櫛の図案やキセルの図案があり、実寸大の絵柄が描かれています。当時の職人は、気に入った図案を切り抜いて、櫛やキセルの部材に直接貼って彫刻を施していました。

「新型小紋帳」には、古典的な文様以外にも北斎オリジナルのデザインがあり、染色家達が参考にしていました。北斎のアイデアは畳の目を文様にするなど、鋭い着眼点に驚かされます。

C 北斎の緻密な描写力と観察眼で描かれた「肉筆画」


肉筆画とは版画ではなく、絵筆で描かれた浮世絵のことですが、なかでも「西瓜図」や「二美人図」は圧巻で、北斎の偉大さを表す筆遣いが感じられます。

D 北斎の強烈で斬新な独創性


北斎は風景画の中に西洋の技法も取り入れながらオリジナルの構図を生み出しました。「諸国瀧廻り」シリーズは瀧をモチーフに、水の動きを斬新な構図で訴えかけてきます。また、各地の橋を描いた「諸国名橋奇覧」シリーズなど、北斎の独特な世界観を持つ傑作は挙げるとキリがありません。


昔も今も世界が称える北斎


1856年、フランスの銅版画家フェリックス・ブラックモンは、日本から送られてきた陶器の包み紙に使用されていた北斎漫画を目にしました。素晴らしいデッサンに感銘を受け、北斎漫画を多くの画家に紹介したといわれています。

また、1867年のパリ万博では、日本から浮世絵や工芸品などが数多く出品され、ヨーロッパの多くの芸術家たちの目に止まりました。

モネが、「富嶽三十六景」から着想を得て「エトルタ海岸」などの作品を描いたように、マネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャンなど名だたる画家達にも影響を与えました。

さらに、北斎の影響は美術だけにとどまらず、作曲家のドビュッシーは、北斎の「神奈川沖浪裏」からイメージした「海」を作曲しました。

時代が変わろうとも世界は北斎の偉業を認め、1998年、アメリカの雑誌「LIFE」は、「過去1000年の中で最も重要な功績を残した100人」に北斎を選びました。日本人で選ばれたのは北斎の一人だけで、いかに偉大かがわかります。


アートも人生も魅力ある北斎

北斎のアートは、目を引く色彩と奇抜な構図に圧倒され、細部にわたって描かれている緻密さに驚嘆し、北斎の独特な世界観とリアリティに魅了されます。

北斎は、版画、肉筆画、本の挿絵など幅広いジャンルで、人物や風景、動植物などテーマも様々に、流派の異なる日本画はもちろん、西洋画や中国画の技法までを探求しました。それらを自分のものにして融合した先に、彼のオリジナルがありました。

北斎の強烈なアートに登場する人々は、どれも優しいまなざしやユニークな表情をしていて、温かい気持ちになります。北斎は人が好きで、純粋な心を持った人に感じます。

その純粋さと卓越した才能、そして絵への強い情熱と90歳まで生きた健康体があったからこそ、北斎の唯一無二のアートが誕生したのでしょう。

北斎が70年の絵師人生で描いたアートは日本各地の美術館にあり、私がまだ見たことのない作品も多くあります。今までアート一点ごとに異なる感動があったので、次の新しい出会いが楽しみです。皆さんも、北斎のアートを鑑賞してみてはいかがでしょうか。



桜井 ようこ Sakurai Yoko

美術館巡りが好きで、気になった美術館や企画展には必ず足を運ぶほどです。アートに触れる度に新たな感動があり、私の世界が広がります。これからもこの感動を大切にし、アートに出会う旅を続けていきたいと思います。