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買い物を続ける「日本画」といわれると、なんだかすごく昔の伝統芸能のような、そんなイメージが思い浮かびます。しかし、実は概念自体はごく最近生まれたものだったり、そうかと思えば、数千年前から同じ技法で絵が描き続けられていたり。その歴史の始まりを定義することは、なかなかに難しそうです。
ただ、これだけは言えます。日本画が、近代の日本社会に大きな変貌をもたらしたこと。そしてもしかすると、海外のどんな芸術品よりも深い歴史的意義をもっているということ。
その歴史を知ると、現代の日本画を見るときにしても、より深い趣を見出すことができるようになるはずです。
日本画という概念が生まれたのは明治15年のこと。アメリカからやってきたお雇い外国人アーネスト・フェノロサが、龍池会(日本美術協会の前身)で行った演説にて、西洋の絵画と日本の絵画を区別するためにこの言葉を用いたのがきっかけです。
フェノロサが日本画という概念を確立させたのは、日本の優れた文化を推進していくため。富国強兵を目指し、西洋諸国と肩を並べようとする明治政府の要請に応えてのものでした。
幕末の開国以来、日本の美術品は海を渡り、その魅力から、ヨーロッパ諸国を中心に「ジャポニズム」という日本趣味の流行をもたらしました。このジャポニズム文化から、明治政府は美術品に力を入れていくことで、西洋諸国に認めてもらえる足がかりになると考えたわけです。
ではなぜ、日本の絵画はヨーロッパ人に注目されたのでしょう。それは日本の絵画が、ヨーロッパ人にはおよそ考えつかないような様相をしていたからです。理由はふたつ挙げられます。
1.簡素で平面的な描写

出典:奥村政信『芝居狂言浮絵根元』(Wikimedia Commons)
まず、日本の絵画には以下のような特徴があり、西洋のものと比べると非常に簡素だとされます。
こういった要素が、ヨーロッパ人には「逆に新しい!」と見なされたのです。たとえば、イギリスの外交官ラザフォード・オルコックは、日本の絵画について以下のように述べています。
日本人は絵画を生み出すことがないのだ。なぜなら、絵画芸術にとって必須な要素である光と影とを欠いているからである。 ラザフォード・オルコック『日本の美術と工藝』
遠近感、立体感を持たず、平面的に描かれる日本画。それはヨーロッパ人にとって、もはや絵のジャンルに当てはまらないほど独創的だったのです。
2.日常の風景を描いている
日本画がヨーロッパ人に知られるようになったきっかけは、輸出品の包み紙に描かれていた浮世絵でした。浮世絵の特徴は「日常の何気ない風景を切り取っている」という点にあります。
たとえば、富嶽三十六景で知られる葛飾北斎は、『尾州不二見原(びしゅうふじみばら)』という作品で、桶を作る桶屋の様子を描いています。

出典:葛飾北斎『尾州不二見原』(Wikimedia Commons)
当時のヨーロッパの絵画は、神話をモチーフにしたものや権力者の肖像画など、宗教色、政治色の強いものが一般的でした。浮世絵のような日常を描いたものは存在せず、その点もヨーロッパの画家たちにとっては斬新だったのです。
実はモネの『睡蓮』、ゴッホの『赤い葡萄畑』といった有名な作品も、浮世絵の「日常を描く」という特徴に影響を受けて生まれたとされています。
このように日本画がヨーロッパ人から大きく評価されたことを受けて、よりその魅力を売り出していこうと考えた明治政府。その一歩目としてフェノロサが主導する龍池会は、明治16年からパリのサロンにて、二度の日本画展を開催します。
しかし実はこの日本画展において、日本画はあまり良い評価を得られませんでした。
日本画というジャンル自体を見れば、ヨーロッパには前例がない新しいものに変わりはありません。ただ、日本画同士を比べたときに、どれも一緒に見えるのです。
日本画には狩野派・土佐派・四条派というようにそれぞれ流派があり、伝統技術として画法が継承されていく文化がありました。言ってしまえば、師匠から弟子へ、同じような絵を描くように伝えられていく慣習が出来上がっていたのです。
こういった伝統芸能的な側面は、美術の観点からは無個性とされてしまいます。この点から、日本画展の評判は振るわなかったのです。
ただ、フェノロサはこの結果も予期しており、以後、美術評論家の岡倉天心とともに、日本画の技術革新を推進していくこととなります。
フェノロサと天心は、西洋の要素である奥行きや陰影、より豊かな色調を日本画に取り入れることで、無個性とされる日本画に革新をもたらそうとしました。
結果、これに呼応した狩野芳崖、橋本雅邦といった画家によって日本画が刷新されることに。こうして西洋の絵画とも渡り合える土壌が築かれ、日本画が日本の近代化への大きな後押しとなるにいたったのです。

出典:狩野芳崖『悲母観音』(Wikimedia Commons)
ここまでで述べたように、日本画という概念が生まれたのは明治以降の話。といっても、それよりずっと前の平安時代のころから、日本では同じ技法で絵が描かれていたことがわかっています。
たとえば、日本最古の絵巻とされる『源氏物語絵巻』など。これらに使われている技法と、明治以降の日本画に使われる技法に、大きな差はありません。

出典:『源氏物語絵巻』(Wikimedia Commons)
なにより日本画には、この時代から継承されてきた重要な要素が、今も残り続けています。その要素とは「岩絵具」です。

岩絵具は、鉱石を砕いた顔料と動物の膠(にかわ)、つまり動物の皮から採れるコラーゲン質のものを混ぜ合わせて作った絵の具。この岩絵具が、実は人類最古の画材ともいえるのです。
今から3万年以上前とされる旧石器時代、人は洞窟の壁に石で掘った絵を描くことで、コミュニケーションを図る術を身につけていきました。その際、石で掘った絵に色を付けるため、人はさまざまな色の砂を壁に貼り付けようと考えました。そして砂を貼り付けるために使ったのが、自分たちが食べたあとの動物の油です。
旧石器時代の人々が壁に砂を貼り付けようとしたその技法が、岩絵具には受け継がれているのです。
西洋の油絵具は植物性油と顔料、アクリル絵の具は樹脂と顔料を混ぜたもの。動物性の油を使ったものは岩絵具だけ。そういった意味で、日本画は人類最古の技法を用いた絵画といえるのです。
ひとつのジャンルとして認識されるようになったのはごく最近の話。しかし日本画はこのように、どの芸術作品よりも古い技法を継承し続けているのです。
明治期の日本の近代化を支えた事実も合わせ、現代の日本画からも、それぞれの時代の息遣いをしっかりと感じられるはずです。
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永井 義隆 Nagai Yoshitaka 2018年からフリーのライターとして稼働。歴史分野を中心に、多数のメディアでジャンル問わず執筆活動を行う。ミュージシャンとしても20年近く活動しており、国内外での演奏経験がある。いずれの活動でも「人に喜んでもらえること」をモットーに、日々邁進している。 |