ショッピングカート
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買い物を続ける
絵を一枚、飾った。
最初の数日は、毎日見ていた。
1週間経ち、1か月経ち、3か月経ち——
気づけば、半年以上、その絵は同じ場所に掛かっている。
買ったばかりの頃の興奮は、もうない。
でも、毎日そこにいる。
それが、なんだか、いい。
そのうち、ふと思う。
「この絵、ずっとそのままでいいんだろうか」

服を着替えるように、絵を着替えてもいい。
春には、新緑のような色合いの作品。
夏には、青やシルバーが効いた涼しげな作品。
秋には、暖色がメインの落ち着いた作品。
冬には、深い色や静かな静物。
季節ごとに絵を変える人もいる。
クローゼットに絵を3〜5枚持っていて、季節で掛け替える。
これは、ちょっとした楽しみだ。
「またこの絵に会えた」と思う日が、年に何度か来る。

でも、変えなくてもいい。
むしろ、一枚をずっと飾り続けるほうが、深まる関係もある。
家族とは毎日同じ顔を合わせる。
それでも、毎日少しずつ違う。
絵との関係も、それに似ている。
3年経った絵は、3年分の自分の変化を、静かに見届けてくれている。
引っ越し、転職、誰かとの出会いと別れ、年齢を重ねること——
そういう、人生の節目を、絵はずっとそこで見ていた。
ずっと同じ絵を飾り続ける家は、なんだか落ち着く。
人の家に行って、「あ、この絵、前にもあった」と気づくのも、悪くない。

不思議なのは——
同じ絵でも、季節によって、表情がぜんぜん違うことだ。
春。窓から新緑が見える季節。
壁の絵が、明るく、若い感じに見える。
夏。日差しが強い季節。
絵の色が、いつもより鮮やかに見える。
秋。日が短くなり、室内が薄暗くなる季節。
絵が、静かで、落ち着いた表情をしている。
冬。光が低く、寒い色になる季節。
絵が、ぎゅっと締まって見える。
絵は変わっていないのに、毎日、毎週、毎月、ちょっとずつ違う。
季節が、絵の表情を変えている。

なぜ、季節で絵の見え方が変わるのか。
ひとつは、光の質が違うから。
夏の白い光と、冬の低い光では、絵に当たる色の温度が違う。
朝の光と、夕方の光では、絵の表情が変わる。
もうひとつは、自分の状態が違うから。
春のうきうきした気分のとき、絵は明るく見える。
忙しい秋の朝、絵は遠くに感じる。
雪の日、家にこもった日、絵は近く感じる。
絵は、ずっと同じ姿で、そこにいる。
変わっているのは、季節と、自分。
それなのに、絵がいちばん変わって見える。
これが、絵と暮らすことの、いちばん面白いところかもしれない。

季節と一緒に、絵との関係が変わるなら——
家族との関係も、絵を介してすこし変わる。
リビングの壁に絵があると、家族の動線で必ず目に入る。
パートナーが帰ってきて、ふと壁を見て「今日は絵がよく見えるね」と言う。
子どもが、季節が変わるたびに「絵の色がちょっと違って見える」と気づく。
絵が「話題」になる、というより、「話題のきっかけ」になる。
直接「いいね」と言われなくても、絵があることで、何気ない会話がひとつ増える。
家族で同じ絵を眺めていても、感じ方は人それぞれだ。
「冬のあの絵、なんだか好き」「夏になったら別の絵に変えたい」——
そういう小さなやりとりが、家族の中の「絵を見る感覚」を、すこしずつ揃えていく。
絵は、家族の中の「共通の風景」になる。
そして、その風景は、季節とともに、少しずつ更新される。

「アートを集めたい」と思う人もいる。
「一枚で十分」と思う人もいる。
どちらも、いい。
たくさん集めると、選ぶ楽しみが増える。
一枚だけだと、その一枚との関係が深まる。
ARTiATE は、どちらも応援する。
コレクター気質の人にも、一点物の信頼を売っているお店だし、
一枚で十分な人にも、その一枚を本気で選ぶための場所だ。
増やすか、増やさないか。
それは、暮らしの好み次第。
正解はない。

一枚の絵を、何年も飾る。
それは、絵を「使う」のではなく、「育てる」のに近いかもしれない。
植物のように、毎日水をやるわけじゃない。
ペットのように、構ってあげる必要もない。
でも、毎日、目に入る。
気づかないうちに、絵と自分の関係は、すこしずつ深まっている。
3年後、5年後、10年後——
「これ、もう何年もここにあるよね」と、誰かに言われる日が、きっと来る。
そのとき、その絵は、ただの装飾じゃなくなっている。
自分の暮らしの、一部になっている。
そういう時間を、楽しめる人にとって、絵を買うって、いい趣味だと思う。
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Writer 「わからない。でも好き。」——感性で選ぶアートとの出会いを届ける。 |