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「銅版画」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
学校の美術の教科書、博物館のコレクション——少し遠い場所のもの、というイメージかもしれない。
レンブラント、ピカソ、長谷川潔。名前は聞いたことがあっても、現代の暮らしと、どう繋がっているのかはピンと来ない。
でも、いまも銅版画を彫り、紙に圧をかける作家がいる。
完成までに何週間もかかる、静かな仕事。
そして、その一枚は、博物館のガラス越しではなく、誰かの家の壁の上で、毎日見られている。

銅版画は、銅の板にインクをのせ、それを紙に押し付けてつくる版画だ。
「印刷」とは違う。プレス機で、紙に直接、強い圧をかける。
ローラーが回り、銅板の溝に詰まったインクが、紙の繊維に染み込んでいく。
刷り上がったあと、紙を裏返すと、ぼこっと跡が残っている。
銅板の周囲が、紙にしっかり押し付けられた証拠だ。
この「圧の痕」は、銅版画にしかない特徴。
画面では伝わらないが、手で触れると、紙の表面が立体的に変化しているのがわかる。
実物に触れると、「ああ、これは印刷物じゃない」と、はっきり感じる。
インクの色や絵柄の美しさ以前に、紙の凹凸が、作品の重みを伝えてくる。

エッチング、アクアチント、メゾチント——銅版画にはいくつもの技法がある。
針で銅を引っ掻いた線(ドライポイント)。
酸で腐食させてつくる面(エッチング)。
細かい粒の点描のような、霧のような階調(アクアチント)。
ベルベットのような深い黒の表現(メゾチント)。
それぞれが、別の表情を生む。同じ「銅版画」と呼ばれていても、技法によって質感はずいぶん違う。
ひとつの作品を仕上げるのに、何日も、ときには何週間もかかる。
腐食を待つ時間、試し刷りを重ねる時間、寝かせる時間。
「待つ」という工程が、銅版画にはたくさん組み込まれている。
だから、急いで作れない。一枚に時間が、ちゃんと刻まれている。
そして、たくさんの「失敗」も含まれている。
試し刷りを見て、線を入れ直す。腐食をやり直す。
何枚もの紙が、作品にならずに捨てられていく。
完成した一枚は、その失敗の山の上に、立っている。

銅版画は、15世紀のヨーロッパで生まれた技法だと言われている。
500年以上、ほとんど同じ手順で、人は銅を彫り、紙に圧をかけてきた。
レンブラントが17世紀に彫った銅版画と、いま日本で制作される銅版画は、技法的にはほぼ同じだ。
プレス機が改良されたり、酸の扱いが安全になったりはした。でも、根本は変わっていない。
500年続いているものは、たぶん、それだけで強い。
スマホで撮った写真とは、別の時間の流れの中にある。
「長く持つ」という意味も、ここから来ている。
500年の技法でつくられた一枚は、おそらく、これから何十年も家にあり続ける。

銅版画家の近松素子さんは、ずっと「光」を主題に制作している。
「光」は私の中で色んなイメージに変容し、
今は「日々日常を生きる事」そのものが「光」になっています。
そう、ご本人は言う。
近松さんの作品には、細胞のような、植物のような、星のようなモチーフが、ふわふわと浮かんでいる。
劇的な光景でもなく、有名な風景でもなく、特別な瞬間でもない。
毎日の中にある「光」を、何日もかけて銅版に刻む。
完成した作品を前にすると、その時間が、紙の上に静かに留められているのがわかる。
近松さんは1965年、神戸に生まれた。
美術学校で版画を学んだあと、ずっと銅版画で制作を続けてきた。
個展も、グループ展も、何年も重ねている。
そんな作家の「光」を、自分の部屋に迎える。
それは、500年の技法と、ひとりの作家の人生と、わたしの暮らしが、すこしだけ重なることだ。

画面越しに銅版画の写真を見ると、少し控えめに見えるかもしれない。
派手な色は使われていない。コントラストも、強くない。
スマホで眺めて「うーん、地味だな」と思って、そのまま閉じてしまっても無理はない。
でも、実物を部屋に飾ると、不思議な存在感がある。
近づいて見ると、紙の凹凸と、繊細なインクの濃淡、刷り痕の境界線、薄い陰影が見えてくる。
ふっと光が当たる角度で、表情が変わる。
朝の光、昼の光、夕方の光、夜の照明——
それぞれで、絵がちがう顔を見せる。
主役にならない美しさ。それが、銅版画の魅力かもしれない。
「目立たないのに、毎日見ていたくなる」という種類の美しさ。

銅版画には、エディションという仕組みがある。
ひとつの版から、何枚刷るかを最初に決める。たとえば「5/5」なら、世界に5枚しかない。
一枚ずつ作家が手で刷り、紙の端に鉛筆でサインとエディション番号を入れる。
「2/5」「3/5」と書かれている数字は、5枚のうちの2枚目、3枚目、という意味だ。
完全に同じものは、二枚と存在しない。インクの乗り、紙の繊維、刷る日の湿度——わずかな違いが、一枚ごとに残る。
大量生産では生まれない静けさが、銅版画にはある。
それは、待つ時間と、手の跡と、限られた数の中に、自然と宿るものだ。
ARTiATE では、近松素子さんの銅版画を見ることができる。
画面で見ても、よくわからないかもしれない。
それでも、ふと、目が止まる作品があったら——
たぶん、それがあなたの一枚だ。
「わからない。でも好き。」と言える一枚に、出会えたなら、それは静かな祝福だと思う。
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Writer 「わからない。でも好き。」——感性で選ぶアートとの出会いを届ける。 |