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朝、目が覚める。
まだ少し眠い。布団から手を伸ばして、カーテンを開ける。
部屋に光が入ってくる。それだけで、もう今日が始まっている。
別に特別な朝じゃない。昨日と同じ時間に、同じ枕の上で、同じように目を覚ました。それでも、毎朝この光が入ってくる瞬間は、なぜか少しだけ違って感じる。

ベッドから起き上がって、ぼんやり立つ。
ふと、壁を見る。絵がある。
昨日もそこにあった。きっと、明日もある。
何も変わっていない。なのに、今朝もちゃんと「いるね」と思う。
毎朝、絵に挨拶しているわけじゃない。でも、目が合う瞬間がある。
変わっていないのに、毎日少しだけ違って感じる——というのは、なんだか不思議だ。
たぶん、変わっているのは絵じゃなくて、わたしの方なのだろう。
昨日の自分と、今日の自分は、ちょっとだけ違う。
昨日見た夢、寝る前に考えていたこと、起きた瞬間に頭をよぎったこと——
そういう小さな違いの分だけ、同じ絵が、毎朝ちょっとだけ違って見える。
それが、すこし、いい。

ところで、朝の光は、季節でずいぶん違う。
夏の朝は、光が早く、白い。
カーテンを開けると、外の空気がすうっと入ってくる。
壁の絵は、強い光に少しまぶしそうにしている。
冬の朝は、光が遅く、低い。布団から出るのが、ほんとうにつらい朝もある。
それでも、カーテンの隙間から差してくる細い光が壁に当たると、絵がいつもよりやさしく見える。
雨の朝は、また違う。光は弱く、室内が淡い水色になる。
そんな朝の絵は、こっそり静かにしている、ような気がする。
同じ絵でも、季節で、天気で、表情が違う。
それも、飾ってみないと、たぶん気づけない。

台所でお湯を沸かす。コーヒーを淹れる。
豆を挽く音。お湯がドリッパーから落ちる音。湯気が立つ音。
ちょっと贅沢な朝でも、急いでいる朝でも、この一連の動作は変わらない。
カップを持ってテーブルに戻ると、絵が目に入る。
コーヒーと絵が、ひとつのフレームに収まっている。
お湯の湯気が、ゆっくりのぼっていく。
ニュースも SNS も、まだ見ない。
今日の予定も、明日の心配も、まだ考えない。
時間が、いつもより少しゆっくり流れているような気がする。
そんな朝の数分が、わたしには要る。

絵を眺めていても、何が起こるわけでもない。
何かに気づくわけでも、何かを学ぶわけでもない。
ただ、見ている。
スマホを見ていれば、何かを得た気になる。
ニュースを読めば、世界を知った気になる。
仕事のチャットを開けば、今日のやることがはっきりする。
でも、絵を見ているときは、何も「得た」気にならない。
ただ、自分の中の音が、すこしずつ静かになっていく。
「何の役にも立たない時間」って、実はいちばん必要な時間かもしれない。
頭の中の雑音が消えて、ちゃんと自分の呼吸が聞こえてくる、そんな数分。
「役に立つこと」ばかりを集めていると、いつか自分の輪郭がぼやけてくる。
役に立たないものを、毎日ちょっとずつ眺めている人のほうが、たぶん、長く豊かでいられる。

毎朝が、ゆったりした朝じゃない。
寝坊した日。会議の前。家族の準備で手一杯の日。
そういう朝は、コーヒーをゆっくり淹れる余裕なんてない。
それでも、玄関に向かう途中で、ふと壁の絵と目が合う。
立ち止まる時間はない。視線が一秒だけ、絵に触れる。
それだけで、急いでいた呼吸が、すこし整う気がする。
「あ、今日もここにいるね」——その確認だけで、忙しさの中に小さな静けさがひとつ生まれる。
絵のいいところは、見てくれることを強要しないところだ。
気づいたときだけ、ちゃんとそこにいる。

支度をして、家を出る。
玄関を出る前にもう一度、絵を見る。
「いってきます」とは言わない。でも、なんとなくそれに近い気持ちになる。
通勤電車、職場、ランチ——
朝の数分のことを、日中はもう忘れている。
でも、たぶん、どこかには残っている。
絵のある朝が、ふつうの一日を、ちょっとだけ違うものにする。
派手な変化じゃない。でも、確かにある。
毎朝、同じ光、同じコーヒー、同じ絵。
そんな繰り返しが、思っているより、悪くない。
むしろ、繰り返しの中にこそ、暮らしの一番いいところが、あったりする。
特別なものを買わなくても、特別な場所に行かなくても——
毎朝、目に入るところに、好きな一枚があるだけで、十分かもしれない。
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Writer 「わからない。でも好き。」——感性で選ぶアートとの出会いを届ける。 |